創始者紹介

銘伝大学の創始者である包徳明は、若い時期に国立北京大学を卒業した後、戦争の気運が高まるなか副首都である重慶に移り住み、蒋介石夫人に従いながら戦時における婦人活動に従事しました。そして「陪都婦女福利社(副首都婦人福利社)」を創設、戦地で転々とする女性や子供達のために十分な世話ができるようにしました。抗日戦勝利後の1946年冬、政府が南京で憲法制定国民大会を開いた際、政府は本来予定していなかった女性団体代表の席次について、包女史や王立文女史による請願を受け入れ、90以上の女性議席を決定しました。その後、包女史は国民大会代表に選ばれ、女性参政の定員を提唱、最低でも20パーセントの定員がなければならないとし、その実現に向けて奔走しました。そして、蒋夫人の紹介によって蒋介石総統に接見。蒋総統の支持を得ることができ、紆余曲折を経ながらも国民大会にて法案がついに成立しました。この法案は現在にいたるまで運用されており、我が国の女性の地位向上に大きな貢献を与えています。
包女史は平素から、国民外交や国際的な学術・文化の交流、そして女子サッカー等の推進に努力を惜しまず、国連の国際大学協会総会の指導委員会主席や、国連軍縮教育委員会栄誉会長、世界国民外交総会副主席、アジア女子サッカー総会主席、中国国民外交協会理事長、国際教育兼管理科学基金会会長を歴任し、参加した国際会議も、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本、韓国、メキシコ、コスタリカ、アルゼンチン、ブラジル、スイス、オーストラリア、タイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インド、ミャンマー等、二十数カ国にわたっています。また、イギリスやアメリカ、日本、韓国等の、14の有名大学と姉妹校を結び、国際的な名声を得ています。包女史はこう述べています:「これからも国民外交や国際的な学術・文化交流のために、引き続き心血を注いでいきます」
包女史は台湾へ渡った後、教育によって國に報い、文化や教育を広めることを志しました。そして1957年、「銘伝女子商業専科学校」を創設し、「厳管勤教」「技術と徳の兼修」「理論と実務の重視」「科学技術と人文の重視」という教育方針を堅持、学生のしっかりした専門能力と、応用の利く文化的素養を育てています。二十一世紀は、英語とコンピューターが大きな役割を果たすことになりますが、包女史はこの点に着目し、英語の訓練やパソコンの実務操作を特に重視、学生が英語またはパソコン課程を追加履修する場合には学費を追加しないことを規定しました。これは、専科学校時代から今に至るまで続けられています。学生たちは、学校では学問としての大きな収穫があり、卒業後もそれをしっかりと応用できるだけでなく、使命感と協和の精神に富み、就職率は100パーセント、各界から幅広い賞賛と高い評価を得ています。そのため「無銘不成商(銘伝でなければビジネスで成功できない)」という賛辞もあるほどです。教育部(教育省)では、その教育実績が傑出しているとして、1980年には管理学院へ昇格、1997年には校名を「銘伝大学」と改名することを認可しました。
本学の創立者である包徳明女史は、本学の発展のために、教師陣および学術研究のレベルアップ、教育設備の充実、桃園キャンパスの建設・拡張、高度情報型キャンパスの創造に尽力してきました。また、教育部の政策に歩調を合わせ、台湾の経済発展と高等教育の普及を推進するため、「国際化教育の推進」「高度な学術研究の推進」「教学環境のハイテク化」「倫理規範に基づいたキャンパスライフの創造」を教学目標に掲げ、国際的視野、卓越した能力、専門知識、そして、品性と教養を備えたビジネス人材を育成し、国家ならびに社会に貢献してきました。
この他、包女史は、蒋介石夫人の遺志を継ぎ、金門前線の兵士や住民のために教育並びに文化施設の建設に力を注ぎ、オープンカレッジ―管理科学研究所単位取得コース―を開設し、現地の住民に在職学習の機会を提供しました。また、多くの困難を克服し、「銘伝大学金門分校」の設立準備を進め、医学部を開設しました。同学部は、健康管理およびスポーツ・レジャーに関する教育を第一段階の目標とし、医学看護管理、医療情報、運動保健、観光事業などの学科を設置しました。医学部の他にも、公共事務(行政)研究所を開設しました。開講は、2000年秋を予定しています。
包女史は本学の創立以来、確固たる教育理念のもと、種々の苦難を克服し、校務の遂行に全力であたってきました。包女史の四十余年にわたる尽力が実を結び、本学は大きく発展し、高い名声と輝かしい成果を手にするに至りました。包女史の輝かしい業績は、国内外から高い評価を受け、教育部の表彰を受けた他、アメリカのウェレズリー大学から名誉博士号(人文学)を授与されました。この他、ライオンズクラブ国際協会「傑出教育家賞」、国際的文教組織NGO国際大学学長協会「世界で最も傑出した女性教育家賞」、中華民族世紀巨龍奨選抜会「世紀巨龍賞」、国際傑人会「中国傑人賞」、中華民国世界和平会「傑出婦女賞」、世界国民外交協会「アイゼンハワー栄誉賞」「エリアリーダー賞」など数々の栄誉ある賞を受けました。また、李登輝総統より総統府国策顧問として招聘され、本学四十周年記念式典の際には、李総統から「培育英才、建設国家」(優秀な人材を育成し、国家建設に多大な功績があった)としたためられた書を贈られました。
包女史は本学の大学昇格を機に、自らの大学設立という目標を達成し、教育事業による国家への貢献という使命も果たしたと、理事会に学長辞任の意を表明しました。強い慰留の声にもかかわらず、包女史が昨年九月に再度辞意を表明したことから、理事会では評議委員会を組織して新学長の人選を慎重に執り行い、教育部の認可を経て、一九九九年二月一日に李銓氏が新学長に正式就任しました。